Blog Header
2026.10.1UPDATE

和尚の独り言10月号 「お清めの塩」

TOPページ 法灯記一覧 和尚の独り言10月号

お清めの塩…誰もが一度は、見た事聞いた事があるかと思います。
お葬式に参列すると帰り際に渡される、アレです。私は昔から、これがどうにも腑に落ちませんでした。私は、20代半ばで母親を亡くしました(仏門に入ったきっかけでもありますがそれはまた別の話)が、その帰り際に渡された『お清めの塩』で私の中で疑念がより一層深まりました。
【愛する家族や仲間を見送った帰りに、一体何を清めろっていうんだ!】
って。何かがついてくる?母さんがついてきてくれるなら良いじゃないか。むしろ、嬉しいくらいだ!そんな風に、ずっと思っていました。

ところが、出家して色々と勉強させてもらう内に、少し見方が変わりました。お清めの塩は、元々仏教の教えから生まれた物ではなく、日本古来の【禊・祓い】という考え方に由来しています。そして葬儀で使う塩には、【非日常と日常を分ける】という意味があるそうです。
考えてみれば、人の死程に大きな【非日常】はありません。昨日まで話していた人がもういない。通夜をして、葬儀をして、火葬場でその姿を見送る。深い悲しみの中で、私たちは普段と全く違う時間を過ごします。

けれど…残された者は生きていかなければなりません。帰れば、またご飯を食べ、眠り、朝になればまたそれぞれの日常が始まります。お清めの塩とは、亡くなった人を【汚れたもの】として払い落すのではなく、【ここまでしっかりあなたを見送ったよ】そして、【私はここから、また日常を生きていくよ】その境目につける、ひとつの区切りなのかもしれません。
そう考えると、昔から納得出来なかった【お清めの塩】も、私は少し違って見えるようになりました。

亡き人を払いのけるのではなく、亡き人を胸に抱いたまま、残された私たちが再び日常へと歩き出すための塩。
そういう意味であるならば、この小さな一袋の塩にも、人を見送ってきた日本人の優しさが込められているような気がします。(※絶対食べてはだめ、食用ではないです!)
合掌

記事一覧へ