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2026.03.2UPDATE

和尚の独り言3月号 「宗 教 、 と は」

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もう、本当に悲しい。そもそも『宗教=怪しい』になってからしばらく過ぎますが、私のような僧侶(お坊さん)でも残念ながら納得してしまう部分が多少はあります。高い壺を売りつける。信じないと不幸になる、と不安を煽る。神様の名前を出して争う。他者へ強要をする。それは宗教ではない、ただの支配です。

しかし、私は思います。それを笑ってバカにする側も、本当に清廉なんでしょうか?平気で嘘をつき、平気で人を裏切る。弱い立場には強く出て、強い相手にはペコペコする。それは怪しくないのですか?ポイ捨てしておいて「別に良いだろ」と言う。犬の糞すら拾えない。歩きスマホでぶつかっても謝らない。挨拶すら返せない教育。おいおい…それは怪しくないのか?大丈夫か?

宗教が怪しいんじゃない、自分は正しい、と思いこむ心が怪しいんです。人は、いとも簡単に正義に酔います。そしてその正義で、平気で人を殴る。しかも、笑顔で。優しさ、正しさの仮面を被った冷酷さ。これが一番厄介です。昔は間違えたら叱られた、本当に痛い思いもした。今は、叱れば処分される。責任を負う者が減り、声の大きい者が得をする。弱さを免罪符にして、強く在ろうとする者を叩く。それを進歩と呼ぶのなら、私は少し距離を置きたい。

仏教は、誰かを従わせる教えではない!むしろ、真逆です。「怒りを抑えろ。奪うな。驕るな。己を省みよ。」…甘くないんです。だから、流行らない(笑)「あなたはそのままで良いですよ〜」なんて都合の良い事は言わない。むしろ、こう言われます。「その怒りは何だ。その執着は何だ。そのプライドは何だ。削れ。削って残ったものだけが、本物だ」

本当の宗教が怪しいというより、皆、削られるのが怖いんです。人は痛い事を嫌います。気持ちの良い言葉だけが拡散されます。しかし、気持ち良くなるだけでは人は強くなれない。私は、優しい世界が大好きです。立つ世界が全く変わった時に、本当に沢山の方々に優しく温かく、支えてもらったから。でも「優しいフリの世界」は大嫌いです。謝れない大人、責任を取らない大人、裏で笑う大人。そんな世界で「宗教は怪しい」と言われたら私はこう返します。「怪しいのは、人間です。」

仏教はただ、その怪しさを直視しろ、と言ってます。逃げるな、誤魔化すな、己を裏切るな。それだけの事です。怪しいと思われても構いません。私は今日も、怒りを飲み込み、殴り返さず、黙ってゴミを拾い、笑顔で生きます。その一つ一つが、自分の修行だと知っているから。静かに、そして、本当に強く在れ。それが、仏教。

合掌

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