お葬式とかで何気なく手にする『お数珠』。でも、正直、何となく持ってる人、多いですよね(多分)。
もともとお数珠って、【数を数える道具】だったんです。
2000年以上も前に、お釈迦様(仏陀)の弟子が「心を落ち着けお経を読むにはどうしたら良いのか」って聞いた時に、「念仏を唱える度に、玉をひとつ数えなさい」と答えて、そこから始まった事みたいです。
つまり!本当の元々は【修行のカウンター(数のカウント)】です!今の様に『南無阿弥陀仏』と唱えるようになったのはずっと後の事ですので…
当時は『ナマス・ブッダヤ』とかですね。それを108回唱える時、数を間違えないように…って感じで。そうしてお数珠は、修行の道具として広まっていきました。しかし時代が進むにつれてそれは数を数えると同時に、祈りを数える様に…【信仰の対象】へと変わっていきました。焼香もそうでしたね。入浴習慣が整っていない古代で、体の臭い消しとして生まれ、時代が進むと、空間と心を清める行いに意味づけが変わりました。
今では、お数珠とは、人と仏を繋ぐ心の輪。合掌する時にお数珠を手にするのは、「自身と仏を繋げたい」って気持ちの表れです。形だけ真似しても無意味です。そこに「気持ち」が入っているかどうかで、全然違います。ちなみに、玉が108個あるのは人の「煩悩の数」を表しています。欲、怒、妬、怠…まあ、人間誰だって本当に色々あります。
私だって、昔は煩悩の見本の様でした(今でも全部は消えちゃいない)。でも、お数珠を手にすると、不思議と心が落ち着きます。若き日の様に突っ走るのも勇気なら、「立ち止まる勇気」みたいな物をくれる気がします。(超個人的感想ですよ)
お数珠は、ただの飾りじゃありません。
「自分と向き合う為の相棒」にもなれます。
派手な事は不要。手の中の小さな珠に、
今の自分の心を映してみるだけで、充分です。
(来月12月号は、年末年始的な事を書きたい。)
合掌